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  • 2007.04.08 Sunday
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高須 洋介(E) 〜旧球団の「保険」から一転…

今回は永遠のサブプレイヤーかと思われた矢先、
わずか2年でチームの中心野手に上り詰めた高須洋介について。

厳密には「変わろうとしている」とは言えないかもしれませんが、
今季から楽天の選手会長に就任する、という事もあり、
さらなる成長で一流選手へと変貌を遂げることを願っての抜粋であります。




97年ドラフト2位で近鉄バファローズに入団。
背番号もいきなりを背負うなど、
1年目からレギュラーの期待を一身に背負った格好となりました。


この頃の近鉄の正セカンドといえば水口栄二(現オリックス)。
この時点ではまだ30歳に差し掛かったばかりでしたが、
98年は124試合出場で規定打席に到達したにもかかわらず、
ヒットは87本。
打率.233という物足りなさで、にわかに内野が騒がしくなってきた頃。

一方ショートの武藤孝司は2年目の97年に抜擢され、
機動力を武器にセンターラインを固める役割を担うまでに成長。
こうした環境もあり、良い球団・良い時期に入団したと思います。



1年目はわずか3試合のみの出場でしたが、
翌99年、こうした環境からか首脳陣は早くも高須抜擢の機運を高めます。

故障を発生させた水口に代わり、
一躍セカンドのレギュラーへと成り上がりを見せました。
しかし年数が浅い故の非力さは否めず。
打撃成績は冴えないもので2割5分を行ったり来たり。

それでもセカンドのレギュラーが勤まったのは、
何も水口の故障という要素だけではなく、
近鉄全体でチャンスメーカーに関して混迷を見せていたのが原因だったと思います。



クリーンアップは中村紀洋・ローズ・クラークと鉄壁ともいえる布陣でしたが、
とにかくこの3人に依存する打線だったのは否めず。
1・2番定着濃厚と見られていた大村直之・武藤が本来の力を発揮できず。
大村は9番にシフトされたり武藤は春先吉田剛にスタメンを譲ったりして、
中々クリーンアップに繋げる形が見出せなかったからです。
(ちなみにこの年近鉄は最下位)



そのため9番セカンドが主だった高須も、
チーム事情に合わせて1・2番を数試合経験。
終盤息切れして(10何打数か連続ノーヒットで閉幕したらしい)、
.225まで打率を落としましたが良い経験だったといえるでしょう。

ちなみに水口はというと、
6月に1軍復帰しセカンド・ショートを守りましたが、
夏場を過ぎ最下位濃厚な空気になると出番を失っていきました。
(「若手に出番を譲った」のか故障なのかは不明)



この年で一気に高須・水口の立場は逆転した。
そう思いましたが、翌年ものの見事に騙されてしまいました。


高須は故障が続きファームでも37試合のみで14安打。(.203)
一軍では消化試合に5試合に出場しただけに終わりました。

一方の水口は前年プロ入り以来最低の出場数に終わったこともあり奮起。
一転してプロ入り以来最高の出場数・打席数を残しセカンドに定着。
故障絡みで脚力は衰えたのか、ショートでの出場は無し。(以降もショートを守る事はめったに無くなった、現在はサード・ファーストもこなす)
打率.251に終わりましたが出塁率は.333と健闘。
復活年にしては上々だったでしょう。




すっかり古豪・水口の意地に押される格好となった高須。
翌01年は2試合のみで打席すら無しというシーズン。
反対に水口は成績を上げ、
打率.290と2番打者の役割を全うし優勝に貢献。


02年は一転、水口の方が落ち込み高須が奮闘。
出番こそ水口が上でしたが、打率を.255まで下げるなど衰退が見られ、
高須は69試合出場と盛り返し、
打率は水口と全く同数の.255。
49安打のうち二塁打14・三塁打2と、
水口には無い俊足をアピールして何とか生き残りました。



この近鉄優勝前後辺りは他の内野陣が固まっていた事もあり、
高須の成績は水口の出来如何に左右されるという、
何とも「水口の保険」的なプロ生活…


その思いを強くしたのが04年のシーズン。
衰えが見られたと思った水口はその後再び盛り返し、
この年は3年ぶりの規定打席到達。
打率は自己最良の.293に27犠打・53四死球も関与し出塁率も.374。
中村紀よりよっぽどチームへの貢献度は高く、
近鉄の2番は彼以外ありえない、という所まで飛躍。

一方の高須。
93試合出場とそれなりに奮闘しましたが、打席数はわずか114。
シーズン通してベンチ入りは果たしたものの、
役割はというとベテランの水口がフル出場という面で厳しくなっていたので、
もっぱら彼の代走や守備固め、という生活でした。



打数は98でヒットは16。
打率はわずか.163という非力ぶりでしたが、着目すべきは打点。
長打もそれほど打ってないにも拘らず12打点。
とりわけ勝負強さは抜群で、
ある試合では延長戦でポテンヒットで決勝打を叩き出すなど、
わずかな出番を生かそうと必死なプレーぶりが目をひきました。

今思えば、この「水口の保険」な控え生活で、
その後の高須のプロ生活の下地が出来ていたのかもしれません。
打撃も走塁も守備も、
執念の塊ともいえる泥臭さを身に付け、いざ新球団・東北楽天へ。






酒井忠晴・斉藤秀光・前田忠節・大島公一にルーキー西谷尚徳・塩川達也
二遊間候補が横一線に並び立ったものの決定力が無い陣容。

そんなチーム構成故、
近鉄時代に培われた泥臭さがフルに役立てられたと思います。

開幕スタメンを奪取した高須は、
過去に見られなかった打撃のしぶとさでセカンドに定着。
故障というか清原の逆恨み殺人スライディングで82試合出場に留まりましたが、
その他の成績は大幅向上。

打率 .163 → .278
安打  16  →  88
打点  12  →  27
盗塁   0  →  14
出塁 .215 → .318


意外だったのは、移籍してきた沖原佳典二遊間+1・2番コンビを組んだのが、
わずか9試合しかなかった事でしょうか。
翌年沖原が不調に終わったこともあり、
このコンビをもっと観たかったというのが本音であります。



こうなるともう高須の天下。
06年はさらに磨きがかかり初の規定打席到達。

2番としてのチャンスメークだけに留まらず、
チーム全体がタイムリー欠乏症と化する中、
得点圏打率チーム1という勝負強さで時には3番も努めました。




野村克也監督の「考える野球」を最も実践できる選手として、
周囲からの評価も上々の現在の高須。
近鉄時代で作られた不屈の精神を忘れる事無く、
このまま野球界屈指のセカンドへと成長してもらいたいものです。

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