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  • 2007.04.08 Sunday
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2006年外国人事情 〜セリーグ2

<ヤクルト>

・陣容
既存選手
ガトームソン
05年途中に入団。ヤクルトの投手ならではのバッティングの良さも披露するなど活躍を見せ8勝。縦回転のスライダーと140キロ後半のストレートのコンビネーションは魅力だが、脆さも持ち併せ防御率は4点台。ラロッカの加入で混沌とした外国人枠争いに勝てるかどうか不安であった。
開幕一軍スタートで4月2日阪神戦に登板も、まずは脆さが露呈する格好となり猛虎打線に掴まって敗北。2試合目の9日広島戦は7回2失点と好投するも、翌日何故かファーム落ち。思えばこれが不信感を募らせる起用の始まりであった…27日の中日戦でも7回1失点、初勝利を挙げるのだが翌日またもファーム落ち。その理由は言わずもなが野手の方がラミレス・ラロッカ・リグスで固定されたためゴンザレスと併用するためなのであるが、そうまでしないと体勢を整えられないぐらいな状況の日本人先発陣に問題があるのは言うまでも無い。先発陣を整えようともせずに応急措置でいける所までいった結果が、

払えない金額を要求して退団→要求よりはるかに安い価格でソフトバンク移籍

であるという事をどれだけヤクルトフロントが痛感しているのか。ガイエル・グライシンガー獲得を見ていると全然懲りていないように見える。
話を戻せば、脆さが同伴していた前年とは打って変わって安定感を身に付けた06年。5回未満での降板は1つも無く、5月25日の楽天戦ではノーヒットノーラン達成という快挙を魅せる。技術的には新たにフォークボールをマスターしてピッチングに幅が出来たのが大きかった。同じ落ちる球といってもやはり縦のスライダーとフォークボールでは軌道が違うものだし、この2つを使い分けれるようになったのは大きな収穫。ソフトバンクではこの投球を続けられるかどうかがカギだが、オフのゴタゴタもあり気持ちの面の方が心配である。
  シーズン後:退団→ソフトバンクが獲得

ゴンザレス
そのガトームソンと併用で扱われたのがこのゴンザレスであるが、過去2年併せてようやくガトームソンと同じ勝ち数になるという成績なので不平不満は現れなかったようだ。
04年シーズン途中に入団。先発リリーフどっちつかずだったが精密機械のようにスライダーをコーナーに配するコントロールで4勝。当然05年は柱として期待されたがオープン戦で打球を指に当てて骨折してしまい、おかげで出遅れるだけでなく復帰後コントロールが乱れる結果となってしまった。
真価を問われる3年目だったが外国人枠争いに敗れて開幕二軍。最初にガトームソンが抹消された2日後に登録されるが、登板無いままガトームソンと交代で再びファーム。全くこんな扱いされてよく不満を漏らさないものだと尊敬する。初登板は4月28日阪神戦、6回2失点と好投したことにより併用路線が確立。そのまま9勝を挙げる活躍でチームを救った。
ガトームソンと並ぶ2完投とイニング数・登板数こそ及ばないが貢献度は甲乙付け難い。だがガトームソンと比べると球威が物足りなく、被打率はガトームソンの.227に対して.262と高くどうしても見劣りするし、結果的にゴンザレスを取ってガトームソンを手放す羽目となったヤクルトフロントにも失望せざるを得ないのである。今季もグライシンガーとの競争が待っているが、高市がモノになればたまには彼1人に任せたって良いのではないか…
  シーズン後:残留

ラミレスJr
ラミレスだけが期待の左腕投手。
とりあえず、彼をどう評価すればいいのか教えてください。(逝け)
義父の発奮材料なんて言ってるけど契約してから成績下げてるし
  シーズン後:残留

リグス
古田PM構想で超攻撃型2番打者を期待された2年目。入団当初はセカンドと外野を兼任するサブプレイヤーとしての期待しかなかったような気がしたのだが、それが昨季にはスラッガーとして期待され、その期待以上の働きをするのだから解らんなあ…
開幕直後は岩村が故障で出遅れというのもあって3番。その後はベテラン真中の予想以上の活躍(ようは確変)もあって6番を打つのであるが、ラミレス・ラロッカは不動の4・5番だからこの助っ人3人をズラーっと並べる打線はガトームソン・ゴンザレスの併用と同じぐらい「応急措置」的で気に入らなかった。5月4日以降は不動の2番。4月こそ打順が動き回っていた影響か振るわなかったが、その後は語るまでも無くホームランを量産し8月は月間MVPも獲得。1番の青木と得点数を激しく争い、その相乗効果もあり攻撃力に関してはリーグトップといえた06年のヤクルト。それでもワンアウト三塁で1点取れなかった場面が目立ち、日ハム・中日のような1点を取りにいく野球は皆無に近かった。まさに外国人スラッガー頼りきりによる応急措置の結果である。
ともかくラロッカが抜けたことにより、今季は3番が期待されている。マークは厳しくなるだろうが真価を見せてもらうことにする。
  シーズン後:残留

ラミレス
日本球界6年目となった昨年。来日した当初は下位打線。アッパースイングでローボールヒッターと弱点も多かったが、下位だからこそたまの爆発が光っていた。ペタジーニがチームを去り4番を任されることとなりどんな打者になるのか注目したが、不安とは裏腹に03年は大爆発。「3割・30本・100打点」を遥かに上回る.333・40本塁打・124打点でヤクルト打線の隆盛を維持。翌年もこの壁を乗り越えたが故障離脱もあり終盤は古田に4番の座を譲った。05年は打率を落として.282、本塁打と打点はノルマクリアしたが不安を覚えるシーズンとなった。
そして昨年。打棒爆発のリグスと広島から移籍してきたラロッカとで打線の中心を担い、古田PM発案のFプロジェクトにちなんで「Fブラザーズ」と呼ばれる。その華やかさとは裏腹に打率は2年連続で下降。4・5月こそ3割を維持し中心打者の威厳を保っていたが交流戦後からチーム成績とともに徐々に下げていった。本塁打も30本を下回り長打率は過去最低の数字(.449)だったし、出塁率も3割を割って投手に対する威圧感も無くなってきた。それでも4番として無くてはならない存在だったのはチーム最多の112打点を稼ぐ執念があったからで、犠飛もリーグトップの10個記録した。
3年契約の最終年となる今季だが、上記の通り6月以降上昇月が無かったのと7年目という年数が不安材料となる。
  シーズン後:残留

日本から新加入
 シーズン前
ラロッカ
広島で2年間プレー。入団当初は内野のユーティリティぐらいの期待だったのが、シーズンが進むにつれて中日除く11チームが防御率4点以上という馬鹿シーズンの流れに乗ってボカスカと打ちまくり40本塁打。後半戦は4番の重責を完全に全うしたし、11盗塁と機動力も悪くなかった。いくら活躍した助っ人の首切りが早い広島でも年俸約1億アップで再契約したのは当然過ぎるほど当然であり、セカンドでは物足りなかった守備も05年はサードを守ることが規定路線となっていた。だが開幕2戦目で故障発生。この間に代役の新井が凄まじい活躍をした事により再びセカンドに回ることとなって故障との戦いが始まる…
結局全ての面で成績は半減し、盗塁も一気にゼロとなった。当然シーズン後には自由契約となったが、そこを拾ったのがヤクルト。年々弱体化するセカンドの強化にと獲得したのだが正直この補強には疑問が残った。というのも、戦力不足に陥っても佐藤や城石や鈴木の抜擢とか知恵で乗り切ってきた以前のヤクルトでは考えられない安易な補強という風に移ったからである。打撃を売りにしたい古田PMの気持ちは解らないでもなかったが…
打順を動かされて出足が悪かったリグスとは対照的に出だし好調。3割を維持して交流戦に突入するとさらに上昇し、交流戦終了時には.325と2分も上がり本塁打も15本。不動の5番打者の地位を築いたかに見えたがペナント本戦に戻りブレーキ。8月中旬に故障離脱するまでわずか3本塁打、打率も2割8分台まで下げてしまった。前年と比べて140打席多かったにも拘らず本塁打は同数で打率・長打率を落としたのは問題あり。リーグ最多の20死球と内角攻めが徹底されたことも影響したか(04年も23個)。本拠地が変わったといっても広島→神宮だし…。岩村のメジャー移籍で残留するかと思ったが、やはりラミレスと2人後半に成績下降させた者を残留させるにはちょっと、と球団は考えたのだろう。
  シーズン後:退団→オリックスが獲得

<阪神>

・陣容
既存選手
ウィリアムス
05年の「JFK」の一角を担う活躍で知名度は言わずもなが。今思えば「WFK」なんぞやらずにとても良かったと思う。そのスライダーはテレビでも鋭角に曲がってくるのが容易に見え、左打者が避けようとした所急激に曲がってストライク、なんて場面もしばしば。
03年に入団。当初クローザーとしての期待はポートであったが、故障を抱えて不調であった事により急遽という形でクローザーに座る。これが見事にはまり阪神独走の立役者の一人となった。終盤にバテが来て日本シリーズではどうかと思われたが好投、当然翌年も残留である。だが04年は苦難の道を走る。不調からか癖を見られたのかスライダーが見極められるようになり防御率は倍以上も上昇する結果となってしまった。アテネ五輪代表に選ばれ(オーストラリア)、そこで日本の前に立ちふさがった事で評価を得たが、正直05年はどうなるか解らなかった。それがあの05年の快投である。
06年も同様の働きが期待されたが、開幕前左膝の故障で出遅れ必至となる。手術→リハビリを経て復帰したのが5月31日の楽天戦。7回を完璧に抑えると後の藤川も8回を抑えさあJFK復活、という所で久保田が炎上。復帰していきなり記念日とはならなかった。とはいえ必殺スライダーは昨年も健在。6試合目の6月13日楽天戦で2失点した以外はほぼ完璧で、久保田二軍落ち以降も健気にセットアップを続ける。
後半戦、「藤川の3イニング熱投」(7月30日ヤクルト戦)を境に阪神はチグハグした投手起用となる。その煽りを受けウィリアムスもおかしくなり、8月18日の試合(ヤクルト戦)では無安打4四球という乱れぶりでサヨナラ敗戦。この試合前まで1.03の防御率がシーズン終了時点で1.90まで上昇。ハイレベルなのには違いないが、この後半戦の失速は今季を占ううえでの不安点。
  シーズン後:残留

ダーウィン
05年は3試合のみの登板。持ち球であるナックルチェンジという特殊変化球だけが注目されたシーズンであり、06年も外国人の陣容はブラウン→オクスプリングという変化だけ。
当然外国人枠からあぶれる第一候補というのが周囲の予想であったが、リリーフの一角・ウィリアムスが出遅れ必至となり開幕一軍を勝ち取った。初登板の4月5日広島戦で1失点したがその後は無難に抑える。だが4月はわずか5試合の登板で磐石の信頼を寄せたとはいえなかった。だがこの活躍で軌道に乗り5月は12試合登板で失点わずか1。藤川ばかりが先行して目立っていたがダーウィンだって防御率0点台をキープさせウィリアムス不在の危機を救った。
交流戦を終えると登録抹消され、復帰した6月28日(広島戦)では先発マウンドも任される。オールスターまでに3試合先発したがいずれも勝敗付かず。5〜6イニングをきっちりと投げ抜く献身的な姿勢で再びチームに貢献すると、後半戦は再びリリーフへ。だがその最初の登板となった7月26日(中日戦)、7回からマウンドに上がるが3失点して敗戦投手。29日ヤクルト戦でも3失点して敗戦。いずれも四球絡みからの連打によるもので、パワーピッチャーにありがちなコントロールの乱れという落とし穴にはまった格好。これでリズムを乱してしまったのか以降は不安定なピッチングを続け、オールスター前は1点台だった防御率は最終的に3.79。JFKの低迷期と一緒に不振に陥ってしまい、その結果が後半開始直後のチームの低迷に繋がってしまった。ともあれ1年目から大幅に数字を伸ばした事に変わりは無く、来季はウィリアムスと左右外国人コンビを結成したい所だ。
  シーズン後:残留

シーツ
今やすっかり打撃の人。元は広島が守備を期待して獲得した助っ人だったはずだが…。今でも今岡らの悪送球のピンチを救う場面は多々見られるが、あのショート守備をもう一度見たいと懐古に走ったりもする。
シュアなバッティングは広島時代から定評があったが、調子の悪い時は苦手な高めストレートに手を出して凡打→高めを意識して落ちるボールに手を出すという悪循環。アベレージ型なのに毎年100三振以上記録しているのがその何よりの証拠。広い甲子園が本拠地となりホームランも減り、地味に正念場となった昨年。
開幕から打撃好調で4月は.356、6本塁打と爆発。交流戦でその勢いはやや衰えたが、終始3割以上をキープし安打数はチームトップの180にもなった(リーグ2位)。1・2番が若干不安定になったため打点は前年より落ち、三振・併殺打も相変わらず多い(120三振・18併殺)結果となったが、無事に06年を乗り切って残留となった。金本・矢野と主力が40歳に迫ってきたので今季もその期待は大きい。
  シーズン後:残留

スペンサー
今一つ残留した理由が解らなかった右の大砲。05年は桧山との併用で調子を維持出来ずたまの爆発で貢献したという程度。この手の選手にはフルに出場すれば…という期待は誰もが持つものだが、それはレギュラーで出られる環境があってのこと。過去2年と違って濱中の復帰が十二分に見込まれたシーズンだったから本人のためにも自由契約で良かったのではないだろうか。
飽和状態なライト故開幕二軍。それでも4月11日に登録され濱中・桧山・林と打力タイプの外野が揃ってしまい、その割に内野の控えがガラガラという歪な陣容を作ってしまった。一時期の好調で1番に起用された事もあったがそれを維持出来ず。ベンチが多くなるとあろうことか首脳陣に直訴というやってはいけない事をやり、それで濱中が弾き飛ばされるという矛盾に満ちたオーダーを作る原因となってしまった。成績については解雇されても当然というものでとりわけ語るものではない。
  シーズン後:退団

外国から新加入
 シーズン前
オクスプリング
ウィリアムスと同じオーストラリア出身。04年のアテネ五輪での好投が先行するが、アメリカでも05年にようやくメジャー昇格を果たすなど上昇機運を持って入団。
初登板の広島戦(4月6日)では7イニング無失点の快投、与四死球ゼロという安定性を魅せる。この制球力は魅力なのだがクセが無く凄みも無いから、少し打たれれば起用するほうも不安になってくるのだろう。2試合目の中日戦では4回3失点で降板、被安打わずか3(四死球はゼロ)にも拘らずである。結局春先こそローテーションの一角に入っていたがウィリアムス復帰に伴い降格・昇格を繰り返した。特に8月の乱れは致命的で、13日の中日戦では8回に救援もワンアウトも獲れず4失点。26日巨人戦で4回途中6失点と散々にやられて一軍から姿を消すことに。15試合先発のうち5イニング未満が6試合という脆弱ぶりでは解雇もやむなしだろう。
  シーズン後:退団

<中日>

・陣容
既存選手
マルティネス
25歳の若さで05年に入団。投手がしっかりしていた中日だけあって育成も視野に入れての獲得だったはずだが、投手陣全体の不安定ぶりに伴い交流戦で早くも戦力入り。長身からの角度あるストレートとチェンジアップが武器の左腕である。
06年は開幕からローテ入りである。肩痛からの復帰を目指すドミンゴとの外国人コンビにかかるウェイトは大きかったはずで、開幕2戦目にマルティネス、3戦目にドミンゴが登板した事でも明らか(いずれも広島戦)。マルティネスは7回途中まで10人走者を出しながら粘りのピッチングで勝利。その後2試合は安定した結果を残すが勝利には結び付かず、4試合目となった4月22日・広島戦では1回3失点で降板。次回登板(28日・巨人戦)でも4回降板と早くも暗雲が立ち込める。ドミンゴはその頃首脳陣に造反を起こしてファームにおり、この結果落合監督は両外国人を軸に先発を回すという構想を捨て朝倉・佐藤充・小笠原を抜擢。藤井2番を4試合で諦めた落合ならではの切り替えの早さである。
その後は朝倉がゲームメイク率(5回以上投げた割合)100%、佐藤充の5連続完投含む8連勝という活躍もあり目立たぬ存在となったが建気にローテーションを守る。このライバルに触発されたか5月は4試合連続で7イニング以上を投げて意地を見せるも、5月ラスト登板の31日オリックス戦で3回途中降板し勢いは止まる。オールスター直前の際も真っ先に中継ぎに回され信頼感の無さが浮き彫りとなり、阪神・オクスプリング同様に早い回で3失点ぐらいしようものなら容赦無く交代させられ、その度に「もっと投げたかった」などというコメントも発表されるわで不満を抱いているのは容易に想像できた。そして球団は残留検討も、メジャー移籍の意志は固く退団することに。
  シーズン後:退団

ドミンゴ
マルティネス以上に気持ちにムラのあるドミニカンの剛球投手。04年には10勝を挙げたもののすでにこのシーズン後半はどんなに好投していても6〜7回がやっと(被安打1なのに6回降板とか)という現象が見られ、その不安は05年肩痛で登板わずか3試合という結果に現れる。当然2年契約の2年目であった06年は正念場。
首脳陣の期待も高く、開幕3戦目に先発し勝利。とはいっても6回途中までしか投げれず全盛期とは言い難かったが。2戦目の4月9日・巨人戦で3回降板して敗戦。するとあろうことか、首脳陣の練習要請を拒絶するという造反劇を起こしてしまいファーム落ち。これで信頼は一気に崩れた。再昇格後勝利を挙げたにも拘らずその後一切登板なしというのが暗示的で、シーズン真っ只中の8月中旬にはや解雇が決定した。
  シーズン後を待たずして退団

チェン(陳偉殷)
19歳で入団と獲得の意味合いは高卒ルーキーとほぼ同じの台湾出身左腕。04年は未登板に終わったもののはや一軍を経験し、05年には10試合に登板。
着実に経験を積んでいたのだが昨年は故障でファームでも未登板に終わってしまった。そのリハビリを兼ねる意味合で育成枠にシフトチェンジしたが、既存選手の育成枠入りは巨人の2選手(平岡・横川)が戦力外となっているなど非常に厳しい状況に追い込まれた事を意味する。果たして巻き返せる日が来るのだろうか…
  シーズン後:育成枠入り

ウッズ
過去3年で本塁打王2度という説明不要の大砲。横浜時代の勝負弱さ(得点圏打率2割前半)もあり、05年のV逸の原因は彼の加入で1点をとりに行く姿勢が失われたからとか守備が乱れたからとか揶揄される事となったが、年齢を感じさせないパワーは圧巻である。
前年の前半戦は打率2割前後という不振にあえぐなど苦しんだが、06年も同様にスロースタート。それでも4月後半辺りから徐々に調子を上げてきたのが前年との違いで、藤井(ヤクルト)にパンチというような乱闘劇も起こさず.292、7本塁打で交流戦を迎える。交流戦では日ハム・ソフトバンクに代表されるクオリティの高い投手陣に苦戦し打率を落とし、ペナント本戦に戻っても調子はトントンでオールスター直前は.283、21本塁打。大爆発で巨人打線を一人で担っていた李に比べても物足りない数字であった。
後半戦に突入しここから本領発揮。8月1日からの横浜3連戦での3試合4発(1試合2発×2)をはじめ9日広島戦でも1試合2発。翌9月も豪打爆発で2ヶ月連続で月間9本塁打。オールスター前に李と8本差があったのだがこの時点で逆転。荒木・井端の1・2番コンビの復調も相まって打点も激増し、100打点がやっとの前年までと決別し144まで数字を伸ばした。10月も12試合で6発放ち最終的に47本塁打で3度目のタイトル、単独での受賞は初であった。
だが日本シリーズでは再び日ハム投手陣に苦しみ爆発せず。38歳という年齢も不安でそろそろ厳しいかもしれない。
  シーズン後:残留

アレックス
03年に入団。その強肩を生かしたセンター守備は一流だがバッティングの方は波乱を極めた3年間であった。ウッズの2年10億という評価に怒りを表したりもしたがやはりパワー不足で飛ばないボールが主流となった05年は低迷。立浪の衰えと同時多発的だった事が連覇を逃した原因の一つとなってしまった。
高齢化故守備範囲の面で不安視されたのかレフトへコンバート。最初の4試合は6番を打ったが藤井がスタメン落ちしてからは不動の5番。エンジンのかかりが遅いウッズとは対照的に出足好調。交流戦前まで3割キープ、本塁打もウッズと同じ7本であったがその後調子を落とし交流戦も終わる頃にはしっかりと3割を割っていた。7月には2割7分台まで打率を落とし、本塁打のペースも2ヵ月半で3本と全然。ついに8月4日6番降格となり、5番には成長著しい森野が座ることに。その後8月下旬には2割9分台まで持ち直したが、結局は前年とほぼ変わらぬ成績に終わった。得点圏打率は初の3割越えを果たしたものの本塁打数で数字を落とした事からか、もう上がり目は無いと判断されてついに自由契約。
  シーズン後:退団

外国から新加入
 シーズン前
ガルバ
年俸1000万という安さでテスト入団を果たした左腕。110キロという巨体からの重いストレートが魅力的に写ったのだろうが…
ドミンゴの造反に伴い一軍昇格。初登板の22日・広島戦では1イニングを三者凡退の2三振と上々。2試合目(27日・ヤクルト戦)も2イニングを無失点に抑えるが、3試合目の30日巨人戦でやってしまい、二岡に満塁アーチを浴びるなど5失点。この試合を最後に一軍登板は無かった。ファームでも防御率4.70とあっては解雇されて当然であった…
  シーズン後を待たずして退団

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