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  • 2007.04.08 Sunday
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2006年外国人事情 〜パリーグ2

<ソフトバンク>
・陣容
既存選手
ズレータ
03年シーズン途中に加入して4年目となった昨年。思えばデビュー戦では高校球児以下(こんな書き方したら高校球児に失礼にあたるか)の外野守備を披露して「ああこりゃ典型的な駄目助っ人だな」なんて思わされたから、まさかこれほど息長く活躍するとは…。助走を済ませた04年は30本・100打点という大砲ぶりを発揮、05年には打率3割越えも果たした。乱闘になると誰も止められないほどの熱血漢である一方、日本に適応するため常にメモ帳を持参し、投手の配球などをチェックするという勉強家である。
だが06年は「短気ぶり」が先に出てしまった。4月16日、日ハム・金村から受けた死球に怒りを表し、そのままマウンド上に突進して金村に怪我を負わせ退場処分。試合後には10試合の出場停止も受けてしまった。
その後はいつもの彼に戻りつつあったが、チーム全体の打線の小粒化故松中とともに徹底マークに遭う羽目に。松中が一発を捨てた(三振37は異様な少なさだ)のと対照的に、ズレータはマークされながらも自分のバッティングを貫き通しそれがチーム一の29本塁打・91打点に繋がった。しかし打率は.281と本来の出来ではなかった。元来スロースターターであり昨年も4月は.257と低迷、その後上昇気流に乗りつつあったがやはり実戦から離れたことが影響したか伸び切らない。そのため球団側は耐用年数が切れ掛かっているのでは、と思いズレータの複数年契約要求に消極的だったとしても責められないだろう。その後球団も必死に慰留に勤めるが一度こじれた関係は修復できず…
  シーズン後:退団→ロッテが獲得

カブレラ
05年を迎えるにあたり巨大企業・ソフトバンクならではの大型メジャーリーガー補強が発揮され、その白羽の矢がたった一人。大型ながら俊足が注目され井口の後釜であるセカンドの穴埋めを期待されたが実際にプレーしてみると守備では送球難、俊足といってもガンガン盗塁仕掛けるほどの積極性は無く…という事でシーズン途中から外野へ。松中・ズレータ・城島・バティスタとスラッガーが何人も居た05年こそそのシュアで勝負強い打撃が際立ったのだが、そのうち2人(城島・バティスタ)が抜けて「自分が中心にならねば」という立場になった06年。
その広角打法と対応力故「2年目はもっと良い成績を残す」という記事も見受けられたが、結局は中心打者としての期待に押しつぶされた格好となってしまった。5月16日まで1試合欠場した(4月8日)以外は全て3番での出場だったが、この時点で.267、2本塁打では後の松中・ズレータが徹底マークに遭うのも当然であった。この後ファームで調整を重ね6月中旬に1軍復帰。だがそれでも一向に成績が上がらず7月再びファームへ。8月に復帰するも既に首脳陣の信頼は消え失せ、柴原とツープラトンで主に6番を打つこととなった。この8月だけで8本塁打中4本と半分打っているがやはり爆発力に欠け、打率も2割6分〜7分を行ったり来たりで中途半端。ポジションも外野からサード、果ては昨年失格の烙印を押されたかと思ったセカンドも守り便利屋としての起用が目立った。
結局最後まで松中・ズレータに次ぐ存在となれず、2年契約満期に伴い自由契約に。
  シーズン後:退団

外国から新加入
 シーズン前
カラスコ
最近3年間で100試合以上ものメジャー登板を果たした右腕投手で、2年契約で年俸1億以上と期待は高かった。
首脳陣の期待は先発の5番手。早速3月29日西武戦に登板したが結果は散々。2回には打者13人の猛攻を浴び満塁弾も喰らった。(打ったのは炭谷)結局晒し投げで5回途中まで放って9失点。次の登板(4月5日・日ハム戦)でも3回5失点で敗戦とボロクソだった。当然ファーム落ちとなったが、再調整後の登板(5月11日・広島戦)も3回で降板し敗戦、これで見切りを付けられた。これでは2年契約を盾に出来るはずも無くあえなく解雇。何しに来たんだか…
  シーズン後:退団

陽耀勲
昨ドラフトで野手の目玉・陽仲壽(日本ハム)の獲得に躍起となり、パイプを作るべく彼の兄を獲得したと思われる。全くこんな事ばかりやってるから大嶺の件でも裏工作が疑われるんだって
戦力としての期待はラミレスJrと違って無い訳ではなく、左腕という希少価値性もある。中央球界では全くの無名ながら昨年早くも一軍登板を果たす。ワンポイントでの起用で5試合に登板。
初登板は5月17日の巨人戦で、代打の代打・星を打ち取り仕事を果たした。そして3試合無失点を続けるも、4・5試合目で1失点ずつしてしまい1軍定着を勝ち取ることが出来なかった。ピッチングの魅力は140キロ台後半のストレートという事なので、まだ24歳。これからの成熟に期待しよう。
  シーズン後:残留

<西武>
・陣容
既存選手
許銘傑
すっかり影が薄くなってしまった台湾出身の投手。かつて在籍していた郭泰源が11年連続100イニング以上(在籍は13年)という息の長い活躍をした事もあり彼と張誌家もそれに近い活躍が望まれたのだが両者とも既に息切れ状態。一軍レベルから遠く及ばないぐらいまで衰えても支配下に置いている辺り西武フロントはまだ期待しているのだろうが…。
特に05年は許はわずか4試合(先発はゼロ)、張に至っては故障で未登板という集落ぶり。当然昨季は正念場であり、それに危機を抱いたのかはたまた西武投手陣が手薄になったのかは不明だが19試合と場数を増やし残留に漕ぎ着け意地は見せた。しかし内容まで全盛期に戻すことは不可能であり先発した3試合はいずれも敗戦、ロングリリーフでは失点試合が6割強もあり結果チームの足を引っ張ってしまった。
  シーズン後:残留

張誌家
概要は許とほぼ同じ。許がスライダー・シュートという横の揺さぶりで交すタイプなら、張はチェンジアップのキレで緩急を付けて勝負するタイプ。
結局06年も棒に振って解雇が決定したが、それ以前からその予兆はあった。途中入団で10勝を挙げ優勝に貢献した02年以降、チェンジアップの比率がやけに多くなった。ストレートの威力が下がりつつあったのかはたまた打者を早く打ち取ろうと横着になったのかは不明なのだが、それによりピッチングから凄みが失われ、03年も04年も今一つ不安定な出来。それが西武全体のローテーションの不安定感を招いた、とは言い過ぎだろうか。
  シーズン後:退団

カブレラ
説明不要の巨大大砲。02年に55本塁打した頃の力は衰え気味だが、それでも4番打者のオーラは相手並びにチームメイトを圧倒できるだけのものがある。
衰えているパワーが示すとおり、長打率.564は来日以来最低の数字(過去5年はいずれも6割越え)。本塁打31本も、故障で半数以上欠場した04年の25本を除けば最低である。それでも打点100をきっちり達成したのが4番の真骨頂。パワーは衰えてもリーチの長さは健在で、低めの良いボールでもその長く太い腕で捉えられるからタイムリーを量産できる。今季以降もピッチャーは彼を抑えるのに一苦労するだろう。
  シーズン後:残留
外国から新加入
 シーズン前
グラマン
年々弱体化する先発陣の梃入れに獲得した左腕投手。思えば02年以降外国人投手は許と張しかおらずそれだけ西武の「投手王国」が健在だったといえるのだが、ここ数年の王国のぐら付きでさすがのフロントもついに根を上げたという格好だろうか。メジャー経験はほとんど無く残っている記録は通産防御率10点台と目を覆う数字。典型的な技巧派で、ストレートは長身からの角度で勝負するタイプ。
開幕からローテーション入りを果たし、左腕アレルギー気味のソフトバンク相手(3月29日)に初登板初勝利。その後もしっかり責任イニングを投げる投球で当たりかと思いきや、交流戦初戦(5月9日ヤクルト戦)で3回6失点と乱れると、次の広島戦(16日)では1回5失点と散々でファーム落ち。その後再昇格も、当初の安定感はすっかり影を潜めて13試合の登板に留まってしまった。大きく乱れたのは交流戦を除けば8月4日の日ハム戦(4回6失点)だけだが、4勝のうち3勝が交流戦以前のものなので慣れが露骨という印象。今季はちょっと厳しそうだ。
  シーズン後:残留

ギッセル
グラマンと同様にメジャー経験が乏しく、しかも獲得時期がキャンプ直前と遅くどことなく「保険」的獲得の匂いが漂っていた。長身からのストレートに特徴とこれもグラマンと同タイプ。だがオーソドックスな右腕なため他者の目からは特徴がないと見られやすいのが辛い所。
その目の通り、グラマンのローテ入りを尻目に5月下旬までファーム暮らし。だがそのグラマンがファームに落ちた事でチャンスが巡り、25日の中日戦で7回2失点で見事な初登板初勝利。その後も6〜7イニングを投げる安定感ある投球を続けると、6月25日ロッテ戦では完投勝利も挙げた。確かにピッチングスタイルに目を見張るものは無いが、投球テンポのよさとランナーを置いても動揺しない気の強さが際立っていた。
そのまま5連勝を果たすのだが、やはりここでもグラマン同様慣れという壁にぶつかったのか息切れ。順位争いの大事な時期に5回未満での降板が激増しチームの足を引っ張ってしまった。この時期も調子を維持できていたらプレーオフにルーキー松永先発などという賭けなどしなかったに違いなく、密かにこの両外国人投手が第一の戦犯だったのかもしれない…
  シーズン後:残留

リーファー
獲得意図が今一つ解らなかった左の大砲。フェルナンデスが退団したから獲得に走ったのだろうが、外国人に頼らなくても日本人に良い打者が揃っていた西武だから尚更。おまけにFA人的保障で巨人から江藤はやって来るわで大砲候補は飽和状態に。
さてリーファーであるが、01年に18本塁打を放ちメジャー定着しかかったが、結局はそこがピークで年々出場機会は減少。守備はファースト・サード・外野が可能だが脚力は今一つ。メジャー実績が無くても日本で中心選手になれるという事はチームメイト・カブレラが証明しているのだが、リーファーの状況はこうした和製大砲揃いのチームで自分の価値観をアピールしていかなければならない状況だったから、ファーストを空けて迎えられたカブレラのようにはいかなかった。
実際開幕は2軍スタート。4月25日にようやく昇格を果たすのだが肝心のバッティングはかなり粗く三振の山を築き、抹消される6月2日までの成績は.175、2本塁打という体たらく。このまま解雇かなという思いが過ぎったのだが、それから二ヵ月後再昇格を果たしてから意地を見せた。復帰後初スタメン(3日・ロッテ戦)で打点を挙げると、次カードの日ハム戦ではスタメン2試合ともアーチを描き上昇気流に乗った。8月だけで9本塁打という爆発ぶりを魅せ打率も.259まで盛り返した。9月はやや勢いが鈍り左投手の際には下げられたものの、無事に残留を果たした。一方の守備は再昇格後2試合を除いて全て指名代打でのスタメンだったように不安は明らか。今季もとにかく打ちまくらなければ生き残りは難しい。
  シーズン後:残留

<日本ハム>
・陣容
既存選手
リー
05年の日ハムはとにかく外国人選手が誤算だった。先発の支柱だったミラバルがついに耐用年数切れを起こしたのをはじめ、先発ローテーションを見込んだナイト・トーマスがボロボロ、打てて守れるはずだったアルモンテが「打てず守れず」だった事が判明しはやペナント争いから取り残されたものだが、そんな窮状から緊急補強したのがこのリーである。僕はその初登板をロッテ側で観戦したのだが、ストレートが140キロ前後の典型的な技巧派左腕。凄みは無いが実戦的なピッチャーで継投主義のヒルマン野球には適応すると感じた。ちなみにこの日は6回途中2失点と試合は作った。
結局05年は9試合で3勝。コンスタントに責任イニングを投げられる安定感が評価されて残留となり06年は開幕からのフル回転が期待された。だが初登板はいきなり4回降板で敗戦(3月29日ロッテ戦)。押し出し含む4四球と乱れたのが致命傷で、制球は悪くないタイプだから球威の無さ故慎重になりすぎたのだろうか。この「慎重さ故の四球の多さ」が良かったり悪かったりの原因になった。11試合を投げて与四死球率5.14は技巧派としてはかなり不満が残る数字で、象徴的だったのが10試合目の巨人戦(5月31日)。6回まで被安打1と完璧に封じながら、7回先頭打者(仁志)への四球からボロボロと乱れ、押し出し四球を与えた所で降板。結局その後チームは1イニング9失点を犯してしまう。抹消理由は左肩痛だったが、このため仮に故障発祥しなくても残留は無かっただろうと思ったりする。
  シーズン後:退団

トーマス
05年開幕直前に入団。左腕からの150キロ超のストレートが最大の武器で、開幕2戦目に初登板。だが見事に3回KOされると、その後2試合でも5回すら投げる事ができずファーム落ち。だが6月に再昇格を果たすとその快速球でリリーフの一角を担う活躍をした。その傍らもう1度先発登板したが、またもやズタボロと先発としての適性の無さをアピール。結局これが悲劇の始まりだったとは…
06年もリリーフ。制球が安定せずリーと同じく与四死球率5個台に加え被打率でも武田久ら主力級からかなり置いていかれた数字(.284)。当然防御率は20試合以上のリリーフ投手の中で最低の3.75に終わってしまった。岡島のメジャー移籍もあり球団は慰留の方針を固める事になったが、ここで悲劇が生じてしまった。フロントは何を思ったのか「先発で投げて欲しい」という要求を出し、これでトーマスは「自分の事を見てくれているのか」と不信感を抱いてしまったに違いない。結局意見衝突の果て退団することに…
  シーズン後:退団

セギノール
すっかり当初の球団はオリックスだった事を忘れられつつあるスイッチ大砲。当時の石毛監督と散々対立を繰り返した事は今やすっかり昔話だのぉ…
昨季も打線の中心である4番としてスタート。だが2年前に本塁打王を獲得してからというものマークが厳しくなり05年は成績を下げ三振も141と激増した。そのままシーズンに挑んだのだが、やはり苦しみ5月終了時点で.234、6本塁打という低迷ぶり。5月25日から3日間5番降格も経験し、それがそのままチームの打撃不振に繋がっていた。6月に入りようやく上向きになったものの、チーム自体が森本・田中賢の1・2番コンビを確立させて上昇期に入っていたので、その流れに乗っただけという印象は否めず。8月再び緩やかな下降期に入り20日時点で.264、15本塁打。このままシーズン終了・解雇が濃厚だろうと思わされた。
だがそこから彼のバッティングは変わった。打撃フォームも膝を折り曲げて構えるものへと改造して9月に大爆発。月間8本塁打を放ち打率も.295まで上昇。ようやくチーム優勝に貢献する活躍を魅せ、球団側も残留の構え。だがこの交渉が巧くいかず音声不通の状態に。年が明けようやく融解しつつあるようだ。
  シーズン後:未定もほぼ残留が濃厚

外国から新加入
 シーズン前
ディアス
まだ26歳と若く将来性豊かな右腕投手。04年にはメジャーで18試合に登板、05年こそマイナー暮らしだったが粗削り故の魅力というものもある。
その通り昨季は開幕3戦目(3月28日ロッテ戦)でいきなり初登板。これを6回2失点と好投し素質の良さを証明したが、リー・トーマスらとの兼ね合いでファームへ。6月に再昇格を果たし再び先発を任されるが負けと勝ちを交互に繰り返す投球。リー故障というチャンスを中々ものに出来ず。ようやく6月28日・7月4日と連勝するがそこから2試合連続で5回以前でノックアウトされると、オールスター以降は一度も登板機会を得られなかった。もちろん物足りない成績であるが、もう1年解雇を待っても良かったのではないだろうか。
  シーズン後:退団

マシーアス
06年の日ハム打線のテーマが「1点を取りに行く野球」という事で、その役割を期待されての獲得。メジャーではここ3年間100試合前後に出場、成績こそ芳しくないがバイプレイヤーとして働いてきた。
その期待通り早速開幕から1番打者で出場。3月はそこそこだったが4月序盤で打率は急降下、すぐに戻すのだが以降は2番での出場が多くなると再び低迷。サインが出なくても自らバントを試みる姿勢には好感なのだが、同時にそれが打撃の積極性を欠く要因にもなった。結局6月にディアスと交代でファームへ。その間に田中賢がリーグを代表する2番打者へと大成長を遂げ、再昇格(7月2日)後の役割は7番、それも常時スタメンとはいかなかった。結局そこでも今一つに終わりシーズン後解雇。シーズン1位を決めた試合での陽気なガッツポーズだけが印象に残る結果となった…
  シーズン後:退団

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  • 03:59
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  • 2007/01/16 2:23 AM
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