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  • 2007.04.08 Sunday
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高須 洋介(E) 〜旧球団の「保険」から一転…

今回は永遠のサブプレイヤーかと思われた矢先、
わずか2年でチームの中心野手に上り詰めた高須洋介について。

厳密には「変わろうとしている」とは言えないかもしれませんが、
今季から楽天の選手会長に就任する、という事もあり、
さらなる成長で一流選手へと変貌を遂げることを願っての抜粋であります。




97年ドラフト2位で近鉄バファローズに入団。
背番号もいきなりを背負うなど、
1年目からレギュラーの期待を一身に背負った格好となりました。


この頃の近鉄の正セカンドといえば水口栄二(現オリックス)。
この時点ではまだ30歳に差し掛かったばかりでしたが、
98年は124試合出場で規定打席に到達したにもかかわらず、
ヒットは87本。
打率.233という物足りなさで、にわかに内野が騒がしくなってきた頃。

一方ショートの武藤孝司は2年目の97年に抜擢され、
機動力を武器にセンターラインを固める役割を担うまでに成長。
こうした環境もあり、良い球団・良い時期に入団したと思います。



1年目はわずか3試合のみの出場でしたが、
翌99年、こうした環境からか首脳陣は早くも高須抜擢の機運を高めます。

故障を発生させた水口に代わり、
一躍セカンドのレギュラーへと成り上がりを見せました。
しかし年数が浅い故の非力さは否めず。
打撃成績は冴えないもので2割5分を行ったり来たり。

それでもセカンドのレギュラーが勤まったのは、
何も水口の故障という要素だけではなく、
近鉄全体でチャンスメーカーに関して混迷を見せていたのが原因だったと思います。



クリーンアップは中村紀洋・ローズ・クラークと鉄壁ともいえる布陣でしたが、
とにかくこの3人に依存する打線だったのは否めず。
1・2番定着濃厚と見られていた大村直之・武藤が本来の力を発揮できず。
大村は9番にシフトされたり武藤は春先吉田剛にスタメンを譲ったりして、
中々クリーンアップに繋げる形が見出せなかったからです。
(ちなみにこの年近鉄は最下位)



そのため9番セカンドが主だった高須も、
チーム事情に合わせて1・2番を数試合経験。
終盤息切れして(10何打数か連続ノーヒットで閉幕したらしい)、
.225まで打率を落としましたが良い経験だったといえるでしょう。

ちなみに水口はというと、
6月に1軍復帰しセカンド・ショートを守りましたが、
夏場を過ぎ最下位濃厚な空気になると出番を失っていきました。
(「若手に出番を譲った」のか故障なのかは不明)



この年で一気に高須・水口の立場は逆転した。
そう思いましたが、翌年ものの見事に騙されてしまいました。


高須は故障が続きファームでも37試合のみで14安打。(.203)
一軍では消化試合に5試合に出場しただけに終わりました。

一方の水口は前年プロ入り以来最低の出場数に終わったこともあり奮起。
一転してプロ入り以来最高の出場数・打席数を残しセカンドに定着。
故障絡みで脚力は衰えたのか、ショートでの出場は無し。(以降もショートを守る事はめったに無くなった、現在はサード・ファーストもこなす)
打率.251に終わりましたが出塁率は.333と健闘。
復活年にしては上々だったでしょう。




すっかり古豪・水口の意地に押される格好となった高須。
翌01年は2試合のみで打席すら無しというシーズン。
反対に水口は成績を上げ、
打率.290と2番打者の役割を全うし優勝に貢献。


02年は一転、水口の方が落ち込み高須が奮闘。
出番こそ水口が上でしたが、打率を.255まで下げるなど衰退が見られ、
高須は69試合出場と盛り返し、
打率は水口と全く同数の.255。
49安打のうち二塁打14・三塁打2と、
水口には無い俊足をアピールして何とか生き残りました。



この近鉄優勝前後辺りは他の内野陣が固まっていた事もあり、
高須の成績は水口の出来如何に左右されるという、
何とも「水口の保険」的なプロ生活…


その思いを強くしたのが04年のシーズン。
衰えが見られたと思った水口はその後再び盛り返し、
この年は3年ぶりの規定打席到達。
打率は自己最良の.293に27犠打・53四死球も関与し出塁率も.374。
中村紀よりよっぽどチームへの貢献度は高く、
近鉄の2番は彼以外ありえない、という所まで飛躍。

一方の高須。
93試合出場とそれなりに奮闘しましたが、打席数はわずか114。
シーズン通してベンチ入りは果たしたものの、
役割はというとベテランの水口がフル出場という面で厳しくなっていたので、
もっぱら彼の代走や守備固め、という生活でした。



打数は98でヒットは16。
打率はわずか.163という非力ぶりでしたが、着目すべきは打点。
長打もそれほど打ってないにも拘らず12打点。
とりわけ勝負強さは抜群で、
ある試合では延長戦でポテンヒットで決勝打を叩き出すなど、
わずかな出番を生かそうと必死なプレーぶりが目をひきました。

今思えば、この「水口の保険」な控え生活で、
その後の高須のプロ生活の下地が出来ていたのかもしれません。
打撃も走塁も守備も、
執念の塊ともいえる泥臭さを身に付け、いざ新球団・東北楽天へ。






酒井忠晴・斉藤秀光・前田忠節・大島公一にルーキー西谷尚徳・塩川達也
二遊間候補が横一線に並び立ったものの決定力が無い陣容。

そんなチーム構成故、
近鉄時代に培われた泥臭さがフルに役立てられたと思います。

開幕スタメンを奪取した高須は、
過去に見られなかった打撃のしぶとさでセカンドに定着。
故障というか清原の逆恨み殺人スライディングで82試合出場に留まりましたが、
その他の成績は大幅向上。

打率 .163 → .278
安打  16  →  88
打点  12  →  27
盗塁   0  →  14
出塁 .215 → .318


意外だったのは、移籍してきた沖原佳典二遊間+1・2番コンビを組んだのが、
わずか9試合しかなかった事でしょうか。
翌年沖原が不調に終わったこともあり、
このコンビをもっと観たかったというのが本音であります。



こうなるともう高須の天下。
06年はさらに磨きがかかり初の規定打席到達。

2番としてのチャンスメークだけに留まらず、
チーム全体がタイムリー欠乏症と化する中、
得点圏打率チーム1という勝負強さで時には3番も努めました。




野村克也監督の「考える野球」を最も実践できる選手として、
周囲からの評価も上々の現在の高須。
近鉄時代で作られた不屈の精神を忘れる事無く、
このまま野球界屈指のセカンドへと成長してもらいたいものです。

内川 聖一(B) 〜スケールダウンに歯止めを掛けろ

予告どおり第5回は、
内野から本格的に外野を守ることとなる内川聖一であります。



今季のドラフトで目玉選手といえば、
凄まじい勢いでホームランを量産している中田翔(大阪桐蔭高)でありましょう。


だがその中田にペースという点で負けず劣らずという高校生活を送った選手。
それが現横浜ベイスターズ・内川でありました。



パワーだけでなく走力も一品、
ショート守備も華麗な動きが目立ち強肩という天性の才能を持ちながら、
高校時代は実働1年ちょっとという短い生活。

というのも下級生時に骨腫瘍という奇病にかかった故、
満足に練習もできない日々が続いたからであります。
そこから立ち直り、1年ちょっとの間に積み重ねたホームラン数は、
占めて41本なり。



当初は広島スカウトが熱心に内川を誘っていましたが、
やはり故障上がりということもあり「猛練習の広島」入りを避け、
横浜が00年ドラフトで1位指名。


才能だけならすぐに一軍でも通用する実力の持ち主であり、
故障がちな体を1年かけて鍛え上げるや否や、
2年目の02年にしてプロ初ホームランを記録するなど42試合に出場。
ヒットは22本で打率.333とまさに快調なプロ人生のスタートでした。






これだけ聞いたら、
すでに今季プロ7年目となる内川、
その類まれな才能で押しも押されぬ中心打者として成長していてもおかしくありません。


しかし現実は、
これまで一度も規定打席到達も無く、
守るポジションも一定していないという中途半端な選手。
確かに年を重ねる毎に成長はしているのでしょうが、
この場合は「成り下がった」というのが適切かもしれません。



確かに高校時代は大型ショートとして一名を馳せましたが、
横浜に入団すると、ショートには名手・石井琢朗がどっしりと構えていました。
石井は言わずと知れた打撃も守備も安定感あるショートストップ。
近年こそ浮き沈みのある成績ですが、チームには欠かせない存在であります。

この石井と、内川との年齢差は12もあります。
正常な世代交代をするにはうってつけな環境なのですが、
横浜というチームは短期で監督交代を繰り返し、
それによって目指すチーム作りも度々変わるという不安定なチーム。



故障がちな体質はプロ入り後もなかなか直らなかった内川ですが、
04年は打撃重視の山下大輔監督の下、
攻撃的な2番打者として化けかかりました。
17本塁打の打率.287という成績で、
故障離脱もありましたがセカンドのポジションを手中にしたと誰もが思いました。


しかしこの年で山下監督は任期満了で解任。
代わって監督に就いた牛島和彦は山下と完全ではないにしろ逆の選手起用。
守備力と実績を重視し、先発が粘り強く守ったリードを生かすべく、
送りバントなど手堅い攻撃を重視。

この方針転換の煽りを受けた格好となったのが内川で、
前年定着したと思ったセカンドにはベテランの種田仁が座りました。
強肩によるショートレンジからのスローイングの乱れが中々直らないため、
内川はもはや他ポジションに活路を見出すしかありませんでした。

前半はどういう訳かレフトでの出場が目立ちました。
当然ほとんど経験の無いポジションです。
そのため守備はおろか打撃でも前年のような勢いは出ず、
中盤以降はバントの巧い小池正晃が2番・レフトとして定着。

その後内川の仕事場といえば、
今度はサード。
波が激しい村田修一に代わり、たまにスタメンに出るといった程度。
もはや「次世代の大型ショート」としての期待は無きに等しい仕打ちで、
次第に内川の選手としての才能もスケールダウンしていった感がありました。





一度落ちたスケールを取り戻すのは非常に困難です。


翌06年、つまり昨年。
種田・佐伯貴弘らベテランの不振・衰えで再びセカンドを守る機会を得た内川。

しかし既に04年の頃の勢いは無し。
ポジションもファースト・外野とその日その日で動き回り、
主戦力とは程遠い存在でした。
前半こそ3割キープもシーズンが進むにつれて落ち込み、
出番こそ過去最高の124試合でしたが、
本塁打はわずか4と、すっかり小粒となってしまいました。





現代の野球選手というのは、
「与えられた役割でしか生きられない」のが実情であります。

そのため横浜のように頻繁に監督が代わり、
それにより方針がコロコロと変更なんて事になったら、
割を喰う選手は必ずといって良いほど現れてしまいます。



巨人が未だ長嶋茂雄監督だった頃、
1番から8番までを打てる打者で固めるという、
超攻撃型オーダーが採られていました。

これもパフォーマンス性を求める長嶋だからこその政策で、
「与えられた役割でしか生きられない」事に反発しての事だったと思います。

しかし今思えば、
その反動がこの度の巨人低迷を招いてしまったとも取れます。
定説に逆らったばかりに、
後任監督は流れを取り戻すのに一苦労している、という図式でしょうか。





話を元に戻すと、
小粒化は免れ得なかった内川ですが、
再びの監督交代で大矢明彦監督の下、
外野手一本で勝負する方針で今季に挑むようです。

すっかり大型遊撃手の形無し、といった所でしょうが、
特徴である俊足・強肩を生かすべくのコンバート、
再びスケールを取り戻そうと必死な内川。
横浜を背負って立つ存在となれるか、注目です。









次回は一流選手への階段を昇らんとしている楽天・高須を予定

宮出 隆自(S) 〜マルチな野球人生

半年以上このカテゴリを放って置いた結果、
他カテゴリとは記事数で大差が付いてしまった。(駄目じゃん)

という事で久々に更新するとして、
誰を取り上げようかと非常に迷った。
僕が注目する選手、といっても、
ある程度のキャリアが無ければ薄い内容で終わってしまう可能性が高い。

過去の3選手もいずれもそんな事を考慮に入れ、
またある程度のネタを交えられる選手を選考した結果が、
林・實松・川井の3人でありました。



もうすぐ開幕、ということもあり、
今季に向けて変わろうとしている選手を中心に更新速度を速めたいと思っております。



という事で第4回は、
今季はサードにも挑戦するヤクルト・宮出隆自について。

前年・前々年と5〜6番を打つポイントゲッターとして定着した感がありますが、
入団当初はバリバリのピッチャーでした。


95年のドラフト2位。
ちょうど「野村監督の意向に従って即戦力」から、
「野村の意向に逆らって高校生」へと指名方針が転換した時期であり、
1位の三木肇とともにその高校生の上位指名第1号と言っても良い存在。
190センチという大柄な体から繰り出されるストレートが魅力、
というのは大きなミスリードであり、
実際の所体の線が細く、ストレートも140キロ台前半でキレが無いというのが第一印象。
ヒジが前に出ない通称「アーム」という悪癖も手伝い、
本格派のようで本格派ではない育て方が難しいピッチャー。
(ちなみに実際に見たのは00年でした、詳しい話は後述)



そのため専門家からは、
「野手として入団した方が良かった」という声も聞かれたほどで、
強肩強打のスラッガーとしての期待の方が高かったようです。





高校卒で未完という事で、
当然ファームで成長段階を踏む事となった宮出。

98年始めて一軍を経験し、
3試合登板でプロ初勝利も記録。
しかし8イニング投げて四球14というノーコンぶりを露呈し、
未だ未完のままという事も証明されてしまったこの年。



翌99年。
監督が若松に交代し、新たに投手スタッフを作り上げなければならない状況のヤクルト。
高校卒で快速球を投げ込む五十嵐亮太・石井弘寿の駆け出し時期となったのもこの年で、
若手投手抜擢の機運は高まっていました。


宮出も当然この流れに乗り、
前年の3試合から、21試合と大幅に出番増。
イニング数と同等の三振数(43)とストレートとフォークのコンビネーションが冴え、
今後の主力への躍進に期待が持てるシーズンとなりました。



しかし期待の若手とはいっても、
150キロのストレートを連発する左右コンビ五十嵐・石井弘とは見劣りがしたのは明らか。
恐らく彼らを上回っていたのは身長だけではなかったでしょうか(逝け)

当然翌年になると両者と大きく差を明けられました。
五十嵐・石井弘が序盤から貴重なリリーフ役に定着したのに対し、
宮出はファーム暮らしが主だった00年前半戦。

後半盛り返し結局この年は22試合に登板。
3勝1敗とまあまあの数字も残しましたが、やはりインパクトに欠ける結果に。
交代完了4度、先発も3試合だけという中途半端な起用に終始しました。


そのうち1試合を巨人戦で先発していたのでテレビで見る機会を得ました。
上原浩治との投げ合いだったのですが、
結果だけを先に言えば、5イニングを投げきり勝利投手に。


だが勝利の決め手となったのが、
自ら上原からタイムリーを放ったバッティング。

肝心のピッチングの方は序盤に3失点し、
「宮出のストレートでは巨人打線に通用しない」と悟ったキャッチャー古田敦也が、
2回以降フォークの連投に注ぐ連投というリードで切り抜け、
何とか5回4失点にまとめてリリーフに託した、という内容。

宮出が上原に投げ勝った、という事実が印象に残り、
今でも記憶に残る試合だったのですが、
今思えばこの時点で野手転向は運命的だったのかも知れません……
(この年は8打数4安打)










01年に故障を発生させ、
もう投手を続けられないぐらいの症状だったらしくこれを機に02年途中ついに野手登録。



そして翌03年ついに野手として日の目を見る、
という経歴は言わずもながですが、
僕は始め一軍で野手・宮出の存在を知ったときはにわかに信じられませんでした。

というのも、野手転向1年目のシーズンは、
不慣れなのが響いたかファームで打率1割台。
二塁打は結構な数をうち長打力は見せましたが、
まだまだ経験不足という印象が強く、あと2年ぐらいはかかると思っていましたから…



この驚異的な伸び率の速さで、
真中満・稲葉篤紀・飯田哲也・佐藤真一という兵揃いといっても全員ベテランの域だったがの中に飛び込む格好となっても一歩も退かず、
ドラフト時に囁かれた「強肩強打のスラッガー」としての資質を如何なく発揮。
60試合出場で44安打・5本塁打という成績は実質2年目にしてはかなりのもの。


以降、本当に投手だったのかを忘れさせるような活躍でついにレギュラー定着。
04年はやや実質「2年目のジンクス」な傾向でしたが、
翌05年4月、巨人・林昌範から放ったサヨナラ本塁打を機に、
何かを掴みかけたのか成績が急上昇。
若松監督の「守備で期待する」という評価をも一変させ、
後半戦は完全にライトに座って.320と(規定不足)、
センター青木宣親の陰に隠れて目立ちませんでしたが大ブレイクといってもいい活躍。






06年念願の規定打席にも到達しましたが、
現在は定位置だったライトを追われ、サードの練習に励んでいる宮出。
サードが板につくかは誰にも解りませんが(むしろ現段階では不安の方が大きいが)、
脅威の伸び率で遅すぎた野手コンバートを乗り切った選手だけに、
この苦境にも乗り越えていけると信じたい所です。





次回は同じくコンバートが濃厚な横浜・内川を予定

川井 貴志(E) 〜ライバルは小林雅

今季途中にロッテ→楽天にトレードされた川井貴志の話をしたいと思います。

98年ドラフト3位でロッテに入団。


城西大という、ロッテお得意の首都大学リーグからのドラフト指名となった訳ですが、
そんな裏道路線の彼にしては長期間戦力になったなぁ、というのが率直な感想であります(失礼だぞ)

いつも「かわいたかし」で変換したら「乾いた菓子」と一発目に出てくるのはご愛嬌。(どうでもいいよ)




そんな彼は、早くも2年目・00年に台頭。
この年はエース・黒木知宏を中心に先発陣が総崩れとなった年で、
中継ぎエース的存在の吉田篤史まで先発に駆り出されるほど無茶苦茶な年で、頼りは勝率1位に輝いた小野晋吾ひとり。

そんな投手陣だからこそ彼は出番をもらえた、といっても過言ではなく、
49イニング投げて四死球は34という制球難ぶりを発揮するなど実力不足なのは明らかでした。
先発少々、リリーフが主という起用法で22試合登板。
山本功児監督の下、こんな感じの起用法が03年まで続きます。
言わば、「永遠の二束のわらじ投手」と言うべきでしょうか(逝け)


この時点での投球スタイルは技巧派。
140キロ前後のストレートに、曲がりの大きいスライダー。
先発のときはカーブ・チェンジアップも交える投球で、今一つ凄みはありませんでした。



今では考えられない壊滅的なロッテの投手陣でしたが、安定化したのは翌01年から。
この年も前年と似たり寄ったりの成績に終わった川井ですが、
救いは防御率が4.71→3.38と大幅に安定化したことでしょうか。
オフの巨人・工藤公康との自主トレで得たものがあったのでしょう。
それでも、ミンチー・黒木・小野・小林雅英ら質の高い中心選手とは一線をなす地味な存在でした。




そんな彼をよそに、01年オフにとんでもない台詞が飛び出します。


それはチームメイトでありロッテの守護神でもある小林雅英から発せられました。






「スピードで川井選手に負けたくない。(負けたら野球やめる)」
ソース元





ストレートに速さがない川井に対する一種の侮辱ともとれる発言。
何という男だ、と思った反面、ストレートで川井に負けた日を見たいと思ったのも事実。(逝け)
ちなみに彼のスピードは150キロ超。
しかもストレートよりシュートボールの方が速いという変り種です。




尚この発言を受けた川井は、翌年オフ同ページでこんな発言をしました。






「ストレートのスピードを小林雅さんより早く。昨年"川井より遅かったら引退する"と書いていたから、引退してもらうため。






と、対抗心剥き出しになった川井。



そしてバレンタイン監督が就任した04年。
今まで先発リリーフ兼任だった川井は、リリーフ専任となります。

僕が彼の姿を生で見たのは、8月の日ハム戦。
渡辺俊介が7回途中で降板した後の2番手としてマウンドに上がりました。
ヒット一本打たれようものなら同点になる厳しい場面での登板でした。

ふと電光掲示板の彼の成績に目をやると、防御率は7点台というのが目に付きました。


でもちょっと待て、7点台?
しかもそんな成績の選手が40試合にも投げているなんて!?



そんな思いで彼の投球練習を見届けプレイ再開。
川井は、早速ストレートを投げ込みました。
そして電光掲示板に映し出された球速表示を見て、驚かされることに…







「147km/h」






あの軟投派の川井が147キロだと!?と心の中で大げさに驚きつつ、
次の球を投げ込む川井…








「148km/h」







これは夢じゃない、マジだ!
あの川井が速球派に変貌を遂げている!
これなら小林雅が引退する日もそう遠くないぞ!(逝け)












坪井タイムリーヒット、日ハム同点!!








って、オイ!!
ただ球速くなっただけじゃないか!



その後の打者に四球を出し、結局ワンアウトも取れずに降板。
この瞬間、防御率が7点台な理由が大体解った…
速さだけ追求して本来の投球スタイルを忘れている…





結局この後の川井はロッテではほとんど必要とされず。
05年の優勝時は大半が二軍暮らし。
そして翌年シーズン途中に楽天にトレードされ、現在に至る…






野村克也監督の下、再び「二束のわらじ」を履くこととなった川井。
今は失いかけた自分の投球スタイルを取り戻している最中なのでしょう。
楽天では貴重な左腕投手となり得ているだけに、今後の一花に期待です。


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實松 一成(G) 〜守備・打撃のアンバランスさが素敵

さて、2人目は現在巨人の控え捕手として奮闘している實松一成です。

元々は日ハムの正捕手候補でしたが、ライバルの争いに敗れ続けて島流しに。
スローイング・リードともに一定以上のレベルなのですが、正捕手を狙うには致命的な欠陥が存在していたのです。




98年のドラフト1位で日ハムに入団。
当時の日ハムは捕手が慢性的に不足しており、正捕手がヤクルトから移籍してきた野口寿浩(現阪神)でしたので、次世代の正捕手候補にと獲ったのでしょう。
松坂大輔(現西武)指名後のはずれ1位でしたので、失敗に終わってもダメージは少ない。
そう読んだドラフトだったのかもしれませんが。


ファームでは、1年目で3割を打つなど順調な成長を見せ、
2年目で早くも一軍デビュー。ヒットは打てませんでしたが、その成長の早さが伺えます。

そして3年目。
正捕手の野口がおかしくなりチームも低迷すると、積極的に起用されるようになります。
そして1試合2本塁打を何と2度も達成し、正捕手への足掛かりを作りました。


翌年の4年目も同様の起用法。
野口は衰えが目立ち、田口昌徳がダイエーに移籍し、日に日に手薄になる捕手。
しかしこの年は打率.129で本塁打も1。
正捕手にはなりきれずに終わります。思えばこれがケチの付き始めでした。



そして野口がトレードで阪神に去っていった翌年。
期待された實松は、あろうことか自主トレ中に手の甲を骨折するという大怪我に見舞わされます。

野口の交換要員で加わった山田勝彦も故障し、一軍レベルの捕手が誰もいなくなった所に、現れた新星が高橋信二でした。
スローイングに難があり、リード・キャッチングもまだ発展途上でしたが、とにかく打力がありヒルマン監督は好んでこの高橋を起用しました。


その影で實松はというと、故障から復帰したものの二番手捕手に甘んじました。
たまにスタメンでマスクを被っても、その強肩と守備を輝かすことは輝かすのですが、甲という打撃でナイーブな部分を骨折したせいか、バッティングはからっきしでした。

とにかくバットがクルクル回る。
何でもかんでもストレート狙いでバットを振る。
しかもリストをこねるという悪癖が目に付き、ストレートも打てない。
4打席のうち2・3三振なんてのがザラでした。



結局、2003年に實松が残した成績は以下のとおりでした。


92打数 9安打 打率.098 3本塁打 8打点 51三振







スカスカと空振りを重ね、残した打率はなんと0割台。
しかも三振率に至ってはなんと.556というとんでもない数字です。
それでいて奇跡ともいえる9本のヒットのうち本塁打はなんと3本。
長打率は3割ぐらいいってそうで怖いです。


日ハムでの實松の運命を決定的にしたともいえる2003年シーズン。


翌年は中嶋聡という強肩捕手が加わり、出番減らされるだろうなと思っていたら案の定でした。
高橋はガンガン打ちまくり、初の規定打席到達。
彼のサポート捕手は中嶋の役になり、實松はほとんどを二軍で過ごしました。



そして残した成績はわずか20打数で3安打。

それでも三振11で率に換算すると.550
そして本塁打も1本放ちました。
少ない出番の中でも自分らしさを発揮する實松。見事としか言いようがありません。




翌2005年は高橋の故障もあり出番は増えましたが、
ファームから鶴岡慎也というイキのいい捕手が現れると、ついにお払い箱に。
今年の3月、巨人・岡島秀樹とのトレードが成立。
何も言わずに、實松は日ハムを去っていきました…













巨人での實松。

阿部慎之介故障と、2番手捕手・村田義則のヘタレぶりにより需要が増えています。

大ベテランの工藤公康にさえも「實松がいいリードをしてくれて好投できた」と言わしめました。

中日戦では走者一掃の3点タイムリーも放ち、しかも今季のヒットはその1本だけです。



移籍先の巨人でも、實松らしさを存分に発揮している彼。
僕としても応援したくなるし、応援しがいがあります。

林 昌樹(広島) 〜ルーツはテニス

いつもは「ど素人が何を抜かしてるんだ!」との怒りを買うような厳しい内容ばかり書いている僕ですが、
たまには前向きなことも書きたいですね。

ということで、僕の普段とは一線をなした見方で、
選手を取り上げてみたいと思います。



記念すべき(?)一回目は、広島林昌樹を。

サイドスローから繰り出すストレートの威力が素晴らしく、
これに横の変化を交えて打者を牛耳る。
ブラウン監督の「中継ぎローテ」構想を支えている一人であります。



そんな林は、97年ドラフト3位で広島に入団。
3年間を二軍で過ごします。

当時は今のフォームからは想像もつかないオーバースローで投げていました。
しかし、投手コーチの清川栄治氏が彼の制球難を克服するべくサイドスローへのモデルチェンジを促します。これが、今の林昌樹への第一歩となりました。

しかし、あの頃の広島は未熟な投手がゴロゴロと転がっていました。ストレートが速くない+制球力がよくない…
清川氏は、林だけでなくそんな投手達にも次々と腕を下げる(スリークオーター・サイドスローにする)ことを命じました。
佐竹健太・田中由基・矢野修平・河内貴哉・苫米地鉄人・広池浩司・仁部智…
他、オリックスに行った菊地原毅もその名残があります。

つまりは、首脳陣は林を重点強化するつもりはなく、
ただ単に大勢の中から使える投手を掘り出したかった、ということになります。(逝け)


これに気づいたのか、
サイドスローになった林は燃えに燃えます。
そして、その強靭な足腰を生かした投球をすべく、ある投法を思いつくのです。
そのヒントになったのは…










テニスのレシーブ!!










あの、よりによってテニスですか?
そういえば昔の選手名鑑に、彼の趣味がテニスと書かれていました。
しかしそれにしてもまさかストレス解消であるはずの趣味から見つけ出すとは…


それで、名づけた投法が「フォアハンド投法」
リリースする瞬間がテニスのレシーブの格好に似ているからだそうです。
他のスポーツからの理論はこれまでにもあります。
例えばバッティングでの「ゴルフスイング」だとか。
しかしそれを独自の目線で取り入れるとは、にわか信じられません。



その後の林は、
2003年にプロ初勝利、それもたった1球で挙げると、
その翌年にはチーム最多登板を果たすなど、リリーフとしての道を歩んでいきます。

他投手とは一味違う、いや次元が違う、
林の投球フォーム理論。
それゆえ、タイプの違う彼はブルペンで貴重な戦力となっているのでしょう。

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